ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。・・・
日本人なら誰もが習ったことのある鴨長明の「方丈記」の書き出しの一節です。この一節は「万物流転、諸行無常」を非常にわかりやすい表現で記された不朽の名文。作者鴨長明の「目」を通した世の中の見え方がよくわかります。その出だしの部分でまず「水」の喩えから始まっていること。やはり、これは「水」というものが如何に我々の生きている世の中に大きな影響を与えているかという象徴であると私は捉えます。ほとんどの人が読めばわかる。それほどわかりやすく平易な文章であるにも関わらず、読むたびに新たな思考のキッカケとなる名文。だから1212年から2020年の現在まで読み継がれ、語り継がれている。そういうことだと思います。私が少しずつ学びを進めている分子整合医学、量子力学などは人間の目に見えるものだけでなく、顕微鏡でなければ見えない世界の学問です。このような分野についても、鴨長明の方丈記、特に出だしの一節は見事に表現されていると思います。顕微鏡の発明は1590年とされていますから、鴨長明の生きた時代にはもちろん顕微鏡は存在しません。でも、顕微鏡などで実際に見なくてもちゃんと「わかっていた」のでしょうね。我々の体内で日々繰り返される我々の生存のための「細胞」の営み。まさにこれは方丈記で記されていること「そのもの」です。フラクタルですね。我々はほとんど「水」で出来ています。「細胞の営みから、世の中の様々な出来事まで全てが繋がっている。」ということは「そういうもの」なのだと思います。この感覚がわかれば地球から宇宙への天文学とも全ての学問がつながっている事がわかります。個々に詳しいことはまだまだ理解の範疇を超えていますが、漠然とした感覚で「そういうもの」という事がわかった時から自分の身体が変化しているのを感じます。生きていると不思議との出会いばかりですね。一生学び続ける。楽しみですね。
余談ですが、1995年1月1日に北海沖で観測された「ドラウプナー波」。世界で初めて観測された大波の一つとされています。この波の発生のメカニズムを解明するために「オックスフォード大学」と「エジンバラ大学」の研究者チームが実験室でこの波を再現した時に、浮世絵師「葛飾北斎」の「富嶽三十六景(1831−1834版行)」の一つ「神奈川沖浪裏」の大波に酷似している事がわかりました。昔の日本人はすごいですね。ただ、昔の日本人がすごいという感覚は私はあまり賛同したくありません。鴨長明にしても葛飾北斎にしてもとんでもない偉人ではありますが、普通の日本人だったはず。我々が悲しいほど退化しているだけなのだと思います。退化の原因は何か?キッカケとなった出来事は?そのような事に思いを巡らせ、史実を学び、日本人としての本来の力を取り戻すために何が必要なのかを考えなくてはならない時代が来ていると思います。