先の見えない時代に「もし・・・?」を考えるのは大切なことだと思います。正解の見えない状況で様々なことを考え、行動する。その中で様々な事を学び、進んでいく。より良き日本になることを祈ります。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。今回のコロナイフは「献血」を切り口に「ワクチン接種」と「血液」の関係を描かせていただきました。キッカケは漫画の始めに載せている厚生労働省のホームページの記述です。ファイザー 社、モデルナ社のワクチン接種者は48時間経過してからでないと献血できない。この48時間という期間にどのような意味があるのかを厚生労働省のホームページに求めてみても明確な記述はなく、「48時間で献血は可能ですよ。」ということしか書かれていない印象ですね。接種後の採決制限期間を設けてあるということについては何の疑問もありません。体内の血液によりワクチンの成分が体内を運搬されるのは明白ですから、運搬中のワクチン成分が献血という「採血」に紛れ込むのを防ぐという目的で行われるこのような制限措置はむしろ当然だと言えるでしょう。しかし引っかかるのは「48時間」という期間がどのように算出されたのか。ここです。48時間経過することで「m RNAワクチンを接種することにより発生したスパイクタンパク質は確実に除去されているのか。」ここが氣になるのですがそのような実験結果を示した論文などは同時に掲載されているわけでもなく、「48時間で献血は可能である。」というメッセージがあるだけです。他のワクチン接種後の採血制限期間についても記述はありますが、この場合他のワクチンは関係なく「今回のワクチンの成分、並びにスパイクタンパク質が除去されているのか。」という情報が必要であるにも関わらずその情報がない。この点について、献血をする者も輸血を受ける者も知っておく必要があると感じたためこのような漫画を描かせていただきました。
また、アストラゼネカ社のワクチン接種後の献血については「ご遠慮いただいています。」との記述があり、この一文を読んだだけでもファイザー社とモデルナ社のワクチンとは明らかに違うというメッセージを受け取らざるを得ません。ここにテレビなどで多く報道されている「血栓症のリスクが高い」という事実が重なってくるといよいよ「接種後の血液はどんな状態になっているの?」という疑問が噴出する訳であります。
ただ、すべてのワクチン接種について今は「任意」という姿勢を国は崩していません。ということはすべてのリスクを考えた上で了承したというサインである「署名をする」という行動を考えたときに、やはり体調不良などが今後もし発生した場合の責任の所在は接種という道を選んだ本人に帰する。これは今一度考えておくべき大切なことであると思います。
また、子供の接種については親の影響が非常に大きく、この「署名」という意味を十分に理解することなく本人の意思とは無関係に接種の輪が広がるというのは恐ろしいことだと思います。
我が国は国民の半数以上がワクチンを接種しているという国です。当然、このような状況になる前と比べて「献血」で採取される「血液の品質」は変化していると考えるのが妥当でしょう。「変化していない」というのであれば、それを信じるにあたって、それなりの実験結果を示した論文の存在は必須なものとなるはずです。ただ、その論文も100%信じるに値するかというと疑問符がつくような状況であるのが「今」であると私は考えます。コロナ禍におけるワクチン接種を取り巻く環境にあまりにも「未知」の要素が多すぎる。そのような研究結果が早い段階で発表されることを祈りながら、「もし、変化していたらどうするか?」と言ったことにまで考えを巡らせる必要がある世の中になってきていることをお伝えさせていただく毎日です。
自分がどう感じるか。
その感覚に自信を持つことが出来るような日常を送ること。
このような原点に帰ることがこれから必要となってくるでしょう。
みんな同じ行動をするからまとまっているように見える。
これは見せかけのまとまりであり本当のまとまりとは言えない。
行動の理由がわかっていない集団。
これは常に不安を内包するため非常に脆い。
崩れるときには一氣に崩れるでしょう。
人の行動にはすべて背景がある。
その背景を理解しようとする心のゆとりを持つ。
それを理解した上で「自分」も「他人」も認める。
それぞれが「出来ること」・「出来ないこと」をすべて認める。
そのように「日本人」がまとまることが出来れば
この国難を乗り越える糸口が見えるような氣がします。
そのためには「他力本願」ではいけません。
わからなければ聞けばいい。
しかし、行動の結果責任は自分で背負う。
適切な決断を下すためにはやはり知識は必要です。
この当たり前をちゃんと理解する。
行動の責任の所在を常に自分に置く。
まずはここからです。
これは「理想論」ですか?
国の理想を語る人間が極端に少なくなった結果が「今」の状況を生んでいる。
多くの人が道を見失っているのです。
自分の道ではなく、他人の道を行くから途中で道が無くなって
途方に暮れる。
ありもしない道を外に求めて精神を病んでいる人がいかに多いか。
「世渡り(他人の道)」に目を向けすぎるあまり
自分の内面が全く見えていないのです。
初めは確固たるものがなくとも
自分の道を探求している方は段々と芯が出来てきます。
そう言ったものが健康の土台として必須なのです。
ご縁のある方の元氣作りのお手伝い。
これが私の道です。
私はそう思うので命がある限り「理想論」は吐き続けます。