本日も皆さん、汗びしょびしょでしたね。
素晴らしいです。
明確な目的のもと、一つ一つのメニューを確実にこなしていく。結局、ここなんです。
やればできる。やらなければできない。
なんてシンプルなんでしょう!
やりたいからやる。やりたくないからやらない。
なんてシンプルなんでしょう!
やるから強くなる。やらないから弱いまま。
なんてシンプルなんでしょう!
やると決めた瞬間から、結果は出ると決まったようなものなんです。
初めは、「そんなのできないわ〜!無理、無理!」と言ってた方々がどんどん自分の可能性に挑戦し、自分のペースで前に進んでいます。
今まで運動ができなかったんです・・・。
・・・あっそう。(当院はこんな感じです。ただの過去にはとらわれない。時間の無駄。)
これから出来るようになれば良いんです。出来るようになりたければ。
なんてシンプルなんでしょう!
人生は「今」しかない。それが全てです。
前向きな方の波動はやっぱりいいですね!皆さん、お疲れ様でした!
動作に制限をかける事で普段どの筋肉に依存して動いているのかがよくわかりましたね!普通に生活するには何の問題もない。でもなぜか定期的にどこかが痛くなる。こんなことを日々の臨床でお聞きする事がよくあります。これは「なぜか?」などと呑気に言っている場合ではなく原因が必ず存在します。痛くならない人もいるんですからね。普段から自分の体との対話を欠かさない。健康に生きる秘訣ですね。
出来るようになりましたね。「吊り輪逆立ち」。「無理〜無理〜無理〜」と言っていた頃が懐かしいです。努力の賜物。自分に対する負けず嫌いって素晴らしいですね。「今」できない自分に落ち込まない事。これはとても大切な事ですね。できない自分に落ち込んでも仕方ない。できないんだから。出来るようになるために行動する。それだけでいいんです。そうすればいずれできます。オリンピック出場を目指すとなると予選など期日がありますから、それほど呑気に構えていられませんが、「生涯元氣で過ごす!」ということを目的とするのであれば、少しずつ成長していく自分の方が楽しみがいがありませんか?「あっ?少しずつ努力すればこんなことも出来るようになるんだ。運動は苦手だと思ってたけど・・・意外と私運動出来るのかも・・・?」こんな感じで目覚めていく方が続出です。真の運動音痴はそんなにいません。多くの方が学生時代に体育の先生などに「お前は運動が苦手だなぁ!」と言われていたり、ご両親から「私たちは運動音痴だから遺伝しちゃってるわね。ごめんね。」とか言われて育った環境が「私は運動ができない。」という思い込みにつながっています。これは「相手の言うことを無批判に受け入れすぎて起こっている悲劇」です。
相手が体育の先生なら、
「運動が苦手な生徒を今まで何人運動が出来る様に導いたのですか?それをするのがプロでしょ?私は努力します。どのようにしたらいいですか。出来るようになりたいんです。努力すべき方向を示して下さい。お願いします。」
相手がご両親なら、
「お父さんとお母さんの遺伝子は受け継いでいますが、同時に多くのご先祖様の遺伝子も受け継いでいます。私はそっちの可能性にかけてみようと思うので、テンションの下がることを言うのはやめてもらえますか。私は努力しようと思います。出来なくてもお父さんとお母さんのせいだなんて思いません。その場合は自分のただの努力不足です。だから、私が苦手な運動を頑張ろうとしていることを『無駄な努力はやめときなさい』というような眼差しで見るのはやめてもらえますか。好きだからやるんです。」
くらいの氣持ちでいれば、運動が本当は好きなのにその道を閉ざしてしまうと言うようなことは避けられますよね。運動と競技をちゃんと分けて考える。競技は勝ったり、成績が良かったりすると嬉しいですね。運動は結果というより「そのもの」が嬉しい、楽しいというものなのです。根本的に違いますよね。楽しそうに運動する先生に学生時代に巡り合えるかどうか。これは多くの方にとって人生に大きな影響を与えていることなのだなぁと日々の臨床でよく思います。楽しそうに運動する先生は実際運動そのものを楽しんでいます。だから教えなくても周りは運動が好きになるんです。私はサッカーで運動の楽しさを学びました。感謝しています。